禅学

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禅とは、私たちが『生きること』そのものです。

仏教の起源がインドにあるように、禅もまたインドに源流を発します。

「禅」という言葉は、仏教発祥の地インドの「ジャーナ」という語の音訳であるといわれ、その意味は心が静まり定まっている状態を指しています。

一般に禅の修行などというと、坐禅をしてひたすら瞑想にふけることのように思われがちですが、禅においては、寝るも起きるも、立つも坐るも、掃除をするのも田を耕すのも、顔を洗うのも、日常生活のすべてが「禅の修行」であるといわれています。

今日では、禅宗の僧侶以外でも「本当の自分の生きる道を知りたい」、「精神修養をしたい」というごく一般の人々が、短期間禅寺に足を運び、坐禅をするということが行われています。また、多様化する社会の中で、禅の考え方は世界の人々にも求められ、ニューヨークやスイスなど各地に禅堂が開かれ、多くの人々が訪れています。

 

・提唱禅語録 山川宗玄
・仏教学の基礎 横山紘一
・禅宗史概論 竹貫元勝
・禅学の基礎 山川宗玄
・坐禅 後藤安弘
・作務 村瀬正光
・禅の作法と心得 後藤安弘
・仏教ボランティアI 村瀬正光
・仏教ボランティアII 後藤安弘
・仏教の世界 小西弘道
・仏教史概論 千田たくま
・禅と医学 藤井滋樹
・漢文基礎演習 横山三千穂
・禅学演習 村瀬正光
・仏教学演習 千田たくま
・仏教史演習 鈴木重喜
・禅宗史演習 千田たくま
・仏教教育研究 後藤安弘
・宗教思想研究 宇佐見之規
・仏教文化研究 鈴木重喜 

 

 

■提唱・禅語録 I /II(山川宗玄)

■禅学の基礎(山川宗玄)

 提唱は、提(ひっさ)げ唱(とな)えるという意味で、禅の専門道場独特の講座をいう。それ故、単なる講義・法話とも違う。道場の教師、これを師家(しけ)というが、その実体験を丸出しにした説話が提唱である。修行の方向と人生全般に亘る、師家直下の講義とも言える。 そして、先達である祖師の行履(あんり)を、その語録から学ぶ、これが聴講者の心の開発の一助になればと思う。尚、修行中の雲水達と共のち聴講になるが、その形式も含め、それが、提唱と理解してもらいたい。専門道場では、一年を二期に分け、それぞれ、雨安居(4月中旬-7月/制中、8月-10月制間)、雪安居(11月-1月/制中、2月-4月中旬制間)となる。提唱は、制中(雨・雪安居共)のみ行う。

 禅宗四部録中、證道歌は一宿覺とも綽名された永嘉真覚大師の著された書である。大師の証悟の内容を韻文として表現されているが、正にそれは禅の道を縦横自在、神韻溢れる名文である。  それを読み解くに従って、本当の自分、悟りの入口を嗅ぎ取ってもらえれば幸いである。ところで、この悟りの入口とは、又全ての人の践(ふ)むべき、また人としての在り方を示すところでもある。遠くの世界ではなく、自分探しそのものだと受け取ってもらいたい。

■坐禅 I /II (村瀬正光・酒向秀子)

■作務I /II (後藤安弘)

 人間の悩みを根本的に解決するためには、真実の自己を自覚することにある。この真実の自己を仏教では自性とか仏性といい、この自覚のために我が禅家においては坐禅という手段を用いる。この坐禅をするための要素として、調身・調息・調心が挙げられる。まず調身によって、身体を落ちつけて動じない形(坐禅の姿勢)に安定させ、調心によって、心を一ヵ所に集中し定着させる。調息(呼吸)によって、その身と心とを融合統一し、身心を一如に安定させる。身・息・心の統一調和をはかり、安定した状態を「定」(三昧)を得ることで、本来の自己自身と対面し、定から慧(智慧)による働きを発する。本授業では、まず坐禅になれることから始める。

 作務は、禅の修行の一つである。禅では、行住坐臥すべてが修行であるとする。それは、一つ一つの行動に集中(三昧)する時、内面が磨かれるのである。従って、掃除や、作業、耕作などを通して自己の内面を見つめてゆくことが本授業の目的である。また、掃除や作業の成果も自分の限界を決めない時、人は発展してゆく。その自分の開発を感じることを目指したい。また、本学や正眼寺の行事などに荷担(手伝い)する心得なども合わせて学んでゆきたい。また作務のことを普請とも言い、全体で行う合同作務を指す。かさねて合同の作務の心得も学んでゆきたい。授業計画は、状況に応じて変動する。

■仏教ボランティアI (今村敬子)

■仏教ボランティアII (後藤安弘)

 ボランティアとは社会的な間題に対して、自発的な意志と自己責任に基づき、共感し行動する個人及び団体の活動であるといわれている。仏教ボランティアでは、仏教学で学ぶ慈悲の精神(学)をもって利他に、無償で役立つ地域貢献や学内貢献のボランティア活動(行)を通じて、自己を発見し、人格を形成する場とする。その精神は本学の建学精神である社会に貢献できる人間をめざした実践編であり、動く坐禅である。ボランティアは単なる奉仕活動ではない。大学から社会へと発信し、地域と連携することによって、共に支援しあいながら、よりよい社会を創造していく場としたい。内容は状況に応じて変動する。

 ボランティアとは社会的な間題に対して、自発的な意志と自己責任に基づき、共感し行動する個人及び団体の活動であるといわれている。仏教ボランティアでは、仏教学で学ぶ慈悲の精神(学)をもって利他に、無償で役立つ地域貢献や学内貢献のボランティア活動(行)を通じて、自己を発見し、人格を形成する場とする。その精神は本学の建学精神である社会に貢献できる人間をめざした実践編であり、動く坐禅である。ボランティアは単なる奉仕活動ではない。大学から社会へと発信し、地域と連携することによって、共に支援しあいながら、よりよい社会を創造していく場としたい。内容は状況に応じて変動する。

■禅修行論a(後藤安弘)

仏教学の基礎(横山紘一)

 禅の修行は長い歴史の中で、修行道場・僧堂で培われた合理的かつ簡略化されてきた。本学では、「行学一体」の学生生活の中にその基本を取り入れ、僧堂入門を見据えて学生生活のカリキュラムを組んでいる。その生活の中の合掌などの基本作法や動作、日課経、回向の読み方、食事作法などの根底にある禅修行論を学ぶことは、僧侶の道を目指さない学生であっても、本学の学生ならば、実習、講義を通して理解してこれからの人生に生かして頂きたい。また現在の臨済宗の寺院で行われている法式や、修行道場・僧堂での規矩(きく)(規則のこと)などを考察し、その基本にある禅修行論を知るものです。

 本講義は、仏教を学ぶにあたり必須の基本的思想(無明・縁起・空・無我・中道・涅槃・智慧・慈悲・真如・菩薩など)を日常の事柄と関係付けながらできるだけ平易に解説し、講義を通して聴講生が「自分とは何か」「人間いかに生くべきか」という人生の二大問題に真摯に取り組もうとする情熱と智慧とを獲得することを主目的とする。講義に際しては、一つは、仏教の根本教理である「唯識思想」と、もう一つは、禅の修行の指南図ともいえる「十牛図」(牧人が逃げた牛を探し求める過程を十の図で象徴的に描いたもの)とを参考にする。

■禅宗史概論(竹貫元勝)

■仏教の世界(嶋野榮道)

 拈華微笑・以心伝心に始まる禅宗の展開について、インドにおける西天二十八祖、五家七宗として展開する中国禅宗、日本への伝禅とその受容を講義する。殊(こと)、日本禅宗の展開については、飛鳥・奈良・平安期の伝禅の形跡を概観し、ついで鎌倉期から近世における二十四流・四十六伝に注視し、五山と林下の展開、さらに黄檗宗の伝来とその受容について明らかになし、それらを踏まえて、現代に法燈をつなぐ応燈関の禅の展開を考える。時代社会との関わりや、地方展開についても触れ、また日本の精神文化史における禅宗の史的意義についても言及し、禅宗の史的展開について広い視点で易しく概観する講義としたい。

 法句経(パーリ語からの現代語訳)・臨済録(漢文からの現代日本語訳)・正法眼蔵随聞記(十三世紀の日本語)・歎異抄(十三世紀の日本語)の四大テキストを使い、仏教の世界の広さ、深さを学ぶ。

■仏教史概論(横山紘一)

■禅と医学(藤井滋樹)

 釈尊に始まる仏教は、二千数百年の長きにわたる時間の流れの中で伝えられ、地域的には、インド・チベット・西域・中国・韓国・日本・東南アジアなどの広大な地域に広がった。したがって本講義において、仏教史を時間的かつ地域的にすべてにわたって平等に論じることは不可能である。  本講義は、まずはインド仏教史に重点を置いて、どのような学派が興起したか、そしてそれぞれの学派独自の思想がどのようなものであったかを概説し、次に、インドで成立した思想が、その後、中国・日本においてどのような変容をとげたかを概観することを目的とする。

 医学はこれまで、おもに病気の治療や延命を目的にしてきた。しかし、最近では医学の進歩に伴いさまざまな課題が生じ、社会生活や霊的なあり方までも視野に入れることが必要になっている。本科目では、心と身体の関係を調整する脳の構造と機能を知り、ストレスに適応しようとする生体の適応力とそれを助ける医学と心理学の様々な技術について学ぶ。最近注目されている心身症、うつ病、認知症、ターミナルケアなどを解説し、交流分析による自己分析、自律訓練法などを体験する。さらに、白隠禅師の健康法である軟酥の法、内観法、呼吸法(大安般守意経)を学び、医学の技法と比較し、禅と医学のつながりを探る。

■漢文基礎演習(横山三千穂)

■禅学演習(村瀬正光)

 漢籍が日本に伝来したのは、百済の王仁が論語・千字文を献上(A.D.285)したのがはじめてである。以来長い歴史の中で、先人の工夫と努力によって漢文を日本語にあてはめて読む訓読法を会得した。それによって日本人の思想・学術・宗教・芸術等々すべての分野に多大の影響をもたらした。五山文学の論評の中で永平道元は「学人は只管打坐して他を管ずることなかれ。仏祖の道はただ坐禅なり。文筆詩歌などは詮なきものなり。捨つべき道理左右に及ばず」、また、万里集九は「詩は是れ吾家の般若経。詩熟すれば即ち文必ず熟し、文熟すれば即ち禅必ず熟す」と。漢詩の耽溺による五山文学の興隆、それに対する憂慮と訓戒等々興味は尽きないが、「詩禅一味論」に参加するにはまず一編の漢詩を作ること。高校では漢文漢詩の訓読鑑賞を習得してきたが、本講座では「漢詩作法」をとりいれ、時には詩作に耽溺し、時には先人の生き方の中に参加してみたい。

 今日の日本臨済宗は、応燈関の三祖師を抜きにしては語れない。それは、應=大應国師(南浦紹明)、燈=大燈国師(宗峰妙超)、関=関山国師(関山慧玄)の三祖師で、この一流より日本臨済宗中興の祖である白隠慧鶴禅師の出現へとつながる。禅の歴史において、この三祖師について知ることは、欠かすことの出来ぬことであろう。故に、江戸時代に渡来した中国僧高泉禅師著『扶桑禅林僧宝伝』を読み、漢文に慣れることと祖師方の行録を知ることを目的とする。

■仏教学演習(村瀬正光)

■仏教史演習(鈴木重喜)

 禅宗教団においては禅の入門書ともいうべき「禅宗四部録」なるものが存在する。『十牛図』『坐禅儀』『信心銘』『証道歌』の4つである。この1つである『証道歌』前半部を取り上げる。『証道歌』は、古来より六祖慧能の法嗣で「一宿覚」と称された永嘉玄覚(675?713)とされているが、諸説あり本当のところはわからない。しかし、この『証道歌』を読んでみると、六祖慧能に始まる「南宗頓悟禅」の思想を格調高く的確に歌い上げており、また六祖門下の祖師方の語録には『証道歌』の引用が多いことが挙げられる。ゆえに『証道歌』は、仏教や禅宗の教義を理解する上でも大変重要であり、本演習で取り組むものである。

 江戸時代の寺院史料を読みます。静岡県袋井市にある曹洞宗の専門道場、万松山可睡斎は、江戸時代には10万石の大名と同一の格式を誇った名刹でした。江戸時代の初頭、徳川家康の深い帰依を受けた高僧の仙鱗等膳が在住した縁故により、この寺は全国に4カ寺あった曹洞宗の触頭「僧録」の1つに任じられ、駿河・遠江・三河・伊豆(半国)4カ国にわたる曹洞宗寺院を支配する地位にありました。可睡斎が今日、江戸幕府の曹洞宗に関する宗教行政や寺院支配に関する膨大な文書・記録等を残しているのはそのためです。この授業では、史料を読む力を養うとともに、江戸時代の寺院とその社会について考えていきます。

■仏教教育研究(後藤安弘)

■日本文化研究 (鈴木重喜)

 人を教え導くことは人生において、親として、友人として、必要が生じることがある。その時、何かの指針がなくして人は人に教え導くことは出来ない。たとえ、人を教え導くことが生じなくても、自分自身が生きてゆくうえで指針が必要になる。その指針として、仏教は、人が幸せに生きるために、何をするべきなのかを具体的に示している。本研究では、基本的な仏教の教え・智慧を学び、仏教的幸せとは何かを知ることにより、日々の暮らしの中でその智恵に沿った具体的な実践方法が解り、幸せに満ちた人生への手がかりを学ぼうとする授業です。

 この授業では、『猿猴庵日記』を読みます。猿猴庵とは、300石取りの尾張藩士で、本名を高力種信といいました。種信は天明5年(1785)、30歳で父種篤の家督を相続し、馬廻となっています。翌年江戸へ赴き、数年間の江戸詰めをしたのち帰国し、寛政4年(1792)には大番を勤め、文化4年(1807)に馬廻にもどり、天保2年(1831)76歳で病死しました。その日記は、明和9年(1772)種信17歳の時から途中15年間の空白を経て、文政11年(1826)73歳に至るまで書き続けられた編年体の記録で、専ら名古屋城下町およびその近辺の出来事を連綿と記しています。内容は寺院の仏事、出開帳から見世物、芝居興行など風俗におよんでいます。この日記の講読を通して、江戸時代の民衆文化とは何かについて考えていきます。

■仏教文化研究(鈴木重喜)

■比較文化研究b(今村敬子)

 正眼寺の了心庵宝蔵には、江戸時代の記録類が伝えられています。その記録類を読むことにより、正眼寺の年中行事や寺院社会内部の諸問題、江戸時代の旗本領主と村との関係など様々な問題を明かにしていきます。この授業では、歴史的な知識や古文書読解に関わる知識の養成をも兼ねています。受講生は、江戸時代の文章に慣れるためにも、鈴木担当の他の演習をあわせて受けることを勧めます。

 文化とは、個人の思考や生活様式であると言われる。また個人の人格は生まれ育ってきた風土や文化の相違によっても、ある程度類型化され、特定づけられる。一口に文化といってもその区分や範囲によって、また何を比較視点とするかによっても異なってくる。春学期の講義においては、近代以降の日本文化が西洋の文化を模範として出発したものの、外面的様相においては吸収出来えても、内面的には吸収出来なかった。その日本文化とは、何であるのかを見つけるためにも、まずはその変容を年代毎に見ていきたい。

■卒業実践研究(各指導教官)

 

 本研究は、おのおのの学生の興味関心のある研究テーマを選定し、論文指導教官(本学専任教員)のもとで論文を作成し、同時に実践指導教官(非常勤講師を含む)のもとで実践記録を積み重ね実践の習得に努めるものです。最初に研究テーマのためのアンケートを各学生におこない、仮研究題目を決定し、論文指導教官が発表されます。論文指導教官が決まった学生は、実践指導教官になっていただく先生に願い出ます。これら指導教官のもとで資料集め、文献講読などを行い、論文の骨子、章立ての作成をし、実践の習得を行います。その章立てが出た時点において、教務部に仮題目を提出し、実践論文の構想を全学合同発表会にて発表します。卒業実践研究aの概要は以上です。(実践研究bから始めた学生の概要は、aに準じます。)