公開講座ご感想 2026年度
R8.4.18 inみのかも 証道歌
- 坐禅をしているお寺で、証道歌を読んでいる(唱えている)ので、解説を聞けてよかったです。
- 縁は長さではない…円通無礙 がんばります。
- 本源自性天真仏を忘れずにいたいと思います。職場の仲間も、自分も、そういう存在であることを。
- 今後もつづけて参加出来ればと思います。多少の予習・復習が必要感じました。ありがとうございました。
- 全てが感謝でした!!ありがとうございました。
- 証道歌の「絶学無為閑道人」が“フーテンの寅さん”との説明があり、ナルホド、と腑に落ちました。無学の者にもわかりやすい話でした。感謝。
- とても難しくて何も理解できませんでした。人生が短いか長いかはその人の生き方次第ということでしょうか。
- とても良いお話しだと思われますが、大変むつかしく感じられました。ただ坐禅の仕方を学ばさせていただきました。
- お話しを聞かせていただきありがとうございました。考えずに、素直に受けとるのが良いとのこと、禅の心にふれる機会を下さりありがとうございました。
- 講話の前に正眼寺におまいりしていると、かねの音が聞こえ、廊下に修行僧の方が坐っておられる姿が見えました。いくつになっても生死というより、生きることにこだわりが尽きません。生死にこだわりを無くすことなどできないとおもいますが、生にこだわってみっともない姿をさらしたくないと感じました。老大師のお話を聞いていてこのように感じました。心が落ち着くお話しぶりでした。ありがとうございました。
- 数年前にNHKで老師のお話しを聞き、書物やユーチューブでの法話も聞きました。以前より参加したかったのですが事情があって、今日初めて機会を得ることができました。昨年末妻を亡くし、しばらく先に光が見えない時間を過ごしていましたが、「今、この一瞬を大切に精一杯生き抜く」という老師のお言葉を胸に孫の世話をはじめ、できること、求められることを誠実に向き合いながら一日一日を生きています。本日はありあとうございました。また参加したいと思います。
- 証道歌は学びたい一つでしたが、なかなか難解であることが分かりました。坐と共に学びと並行してかないとですね。
- 「道-明らめる」人の道を悟す難しい講義と思って参加したが、老師様が道ー“ほがらかに”なると話されて、なるほどとほっとした。自分自身が、悩みつつ生きているが、より良く、より易く、生きることができるようでありたい。医療に従事してきたので”生・死”について考えたこともなかったので、これからも参加して学んでいきたい。具体的にわかりやすい例があり、話して下さり、楽しくもありました。
- 聞いて終了ではない、さらに学びたいと思う、考えたいと思うようになりました。
- 正眼短大の講堂には満々と若緑をたたえた清々しい景色がその容姿を現わしています。容姿端麗と云う言葉が良いのでしょう。世の中が、いろいろな事で不安定なその中にあって、決して裏切ることの無いこの若緑には、不動心があるのでしょう。敬服します。昨年の秋には、木々の葉は全て落としてしまっていました。冬を越して春になれば、溜めておいた養分と根から吸った水分などを生かして葉をたくわえる。常に手放すことができる心の用意があるからなのでしょう。同時に回りの常態を良く見て生活をして行くことも大切です。この心があれば悟りの心に到達するのでしょう。カエルとうつわの中のMILKの話、次にどうなるのだろうと面白かったです。ついにバターになったという「オチ」は、西洋の童話にありそうなお話ですね。これが悟りにつながるのが、本来仏なりなのでしょうね。それに気付いていない我々は、修行をしていないからなのでしょう。その手掛りを見つけることが出来た人は日々の生活を精一杯送って生きている人なのでしょうね。
- 本日、大変興味深い教えをいただき感謝いたします。生きているからこそ、過去、現在にとらわれ、未来をより良きものとして考えていきたいと思っていますが、仏の教えを十分に理解していないため、大変難しい内容でした。年齢的にも、メモを取るスピードが、若い頃に比べると遅くなっているため、余計にメモをとることに神経がうつっていました。
- 無生、無速の話を、山川老師にうかがって、なんとも言えず、ほっとしました。もしかして、玄覚大師も、六祖に無生無速と言われて、すごく安心したのではないかなと思いました。そうした安心の連続(つながり)をわけて頂けて、うれしかったです。 1人になるのがちゃんと生きることになる、けれど、“仏法僧”なので、仲間の存在も大切。それが両立する世界って、どんな風な世界でしょうか。自分は、1人も、みんなとも、うまくいかないときがあるので、両立する世界を見つけたいです。

