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正眼らいふ

正眼らいふ

無門関とは

2020-11-13
現在、学長老師が、美濃加茂、岐阜、名古屋、東京で、
年数回の公開セミナーをおこなっています。
 
そのセミナーで扱っている教材『無門関』について先日
お問合せがありました。
 
なぜ『無門関』を扱っているのか。
『無門関』は難しい、もっとわかりやすい禅の話はないのか、
と、電話でお問合せを頂きました。
 
確かに、『無門関』は難しい書物です。
何年も、修行をしている雲水さんたちでも、
容易に理解できる代物ではないようですし、
禅について初心者にとっては、なおさらでしょう。
 
『無門関』に限らず、現在禅道場で使われているテキストは、
古い祖師方(5世紀ごろから13世紀ごろ)にまつわる話が多いです。
 
そして『無門関』は、日本の禅寺でも、何百年ものあいだ、
禅問答(公案)の教材として、使われ来た問題集です。
内容は、当時の時代の素養だけ知っていも、理解できません。
話につじつまがあわない、話のつながりが見えてこない、
違和感ばかりで、初心者だけでなく、ちんぷんかんぷんです。
 
見方を変えれば、容易に理解できるような内容だったら、
雲水さんらが血のにじむようにして取り組む問題集としては
意味がないでしょう。
 
現代は、情報が氾濫する時代で、
効率よく情報を選別、消化していかないと、
時代に遅れる、また生活がしていけないような錯覚さえあります。
 
自分のいまもっている知識で
理解できないと、イライラする、
 
すぐに結論がでないと、
無駄なものだと、ダメ出しする。
 
熟考して、ゆっくり答えを出す、
ひとつの結論を導き出すということが、
難しい時代になってきたのでしょうか。
 
多く乱立する要素で、どれもが鼎立つ、
最大公約数的な答えを導くというのは、
複雑化した社会では、大事な意味を持つと思うのですが、、
 
そういう意味では、こうした禅の古典は、
面白い教材ではないでしょうか。
考えて取り組んだ分だけ、さまざまな答えが出てくる。
ちょうど、するめを噛めば噛むほど味が出るようにyes
 
実際一つの公案を、何年も取り組んでいる雲水さんもいます。
公案集はほかにもいくつかありますが、
『無門関』はその中でも、文章自体は理解しやすい
公案集だともいわれています。
 
考えることに意義がある。
答えを即求めるなら、テレビのクイズ番組でも
見てるほうが良いかもしれません。
 
現代語訳は多く出版されています。
お近くの図書館にも置いてある、現代語訳で、
まず文章を理解し、文字通りの意味を理解する。
 
そして現代語訳から読んでみて、
なにがわからないのか、
そういう点から考えてみるのも、
面白いかもしれません。
 
セミナーでは、一回につき一則。
ひとつの問題が完結型の話になっていますので、
いつから誰でも参加しても、大丈夫です。
 
文字通り、
だれでも入れる(無門=門は無い)
公案集なので、誰でもいつからでもOKですよenlightened
 
短大staff 記す
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