(順不同)
大道透長安 だいどうちょうあんにとおる
思想や宗教の違いによって真理は様々に説かれても、すべて唯一の真理に通じているということ。
また、日常の行ないすべてが悟りに直結しているということ。
平歩青霄 へいほせいしょう
見渡す限り晴れ渡った青空を悠々とゆくこと。何ものにもとらわれない自由自在の境地。
大方無外 だいほうほかなし
又大宇宙は無限大であって宇宙外のものはないということ。
物歸有主 ものはうしゅにきす
物は皆、その持ち主のところにある。あるべきところにあれ。
処々全真 しょしょぜんしん
いたるところ、すべて真なり。
打成一片 だじょういっぺん
ひとつのものに成り切ること。他を顧みずに一つの物事に専念すること。
行雲流水 こううんりゅうすい〈在庫なし〉
行く雲、流れる水のように、悠々と自在に、自由に生きる姿。
真の禅の修行者の在り方。雲水という言葉はこれに由来する。
清風明月 せいふうめいげつ〈在庫なし〉
すがすがしい秋の夜。月は明るくこの世を照らし、風が静かに吹きわたる。
大道無門千差有路 だいどうむもんせんさみちあり〈在庫なし〉
佛祖の大道には入るべき一定の道はなく、その門はまたどの路にも通じている。
大道は四方八方明け放しであり、どの路からでも自由に出入できる。
無尽蔵 むじんぞう 〈在庫なし〉
真如、法性が一切を包摂して尽きることがないことをいう。
密々通風 みつみつにふうをつうず 〈在庫なし〉
知音同士の消息は他人にはわからぬ。
松樹千年翠 しょうじゅせんねんのみどり 〈在庫なし〉
常に緑を保つ松は、万古不易の真実の象徴。
常住不変の本体に注意を払わず、うわべのことにのみ心を奪われてはいけない。
坐久成労 ざきゅうじょうろう〈在庫なし〉
仕事を終えて「アアやれやれ、くたびれた」と言う開放感、心地よい充実感。
もうこれ以上何も求めるものがないと言う悟りの消息を表した言葉である。
辛苦、辛酸の修行を重ねてかつぜんと開いた悟り。
和光同塵 わこうどうじん〈在庫なし〉
自らの光をやわらげて俗塵に同化する。
仏や菩薩が、自らの優れた力を敢えてあらわすことなく、人間の世界で衆生済度に努めるさまをいう。
帰家穏坐 きかおんざ〈在庫なし〉
長い旅を終えて、わが家に歸り安らかに坐する如く、
久しい修行の末に悟りの境地を得て至極安穩であること。
迷己逐物 めいこちくもつ〈在庫なし〉
「己に迷って物を追(逐)う」と読む。
世間に振り回され己の主体性や落ち着きをなくしている状況。
心の内側に目を向けて、自分らしさを大事にしなさいという教え。
和敬清寂 わけいせいじゃく 〈在庫なし〉
茶道の祖である村田珠光の創唱とされ、利休の茶の精神をあらわす四つの規範。茶禅一味の理想的境地。
「和」は根源的な一に帰した平等一如の世界。
「敬」は平等一如でありつつ互いの存在や尊厳を認める差別の世界。和と敬は相即しあい、不二の境涯を示す。
「清」は一点の穢れもなく清浄であること。
「寂」は煩悩を空じ尽した閑寂な境涯。清と寂の関係も、和と敬の関係と同じく相即している。
一日不作一日不食 いちにちなさざれば いちにちくらわず 〈在庫なし〉
自らが為すべきことを行わなければ、その分食事をしない。厳しい持戒の念である。
不昧因果 ふまいいんが 〈在庫なし〉
因果律をくらまさないこと。ごまかさないこと。因果を因果として受容すること。
人が生きて行く以上、何かの因縁で業を造り、果を受けねばならない。
因が同じでも縁の働き具合で果も大きく違ってくる。
君向西秦我之東魯 君は西秦に向かい、我は東魯にゆく〈在庫なし〉
各人独立独歩。それぞれの道を行く。修行は自分で成就して行かねばならぬ。
白雲自去来 はくうんおのずからきょらいす 〈在庫なし〉
青山元不動 白雲自去来
青山はもとから動かないが、白雲は白雲で行ったり来たりする。
心は永遠に曇ったままではなく、欲や思いが過ぎ去ってしまえば、山も青空ももとのとおりである。
山色清浄身 さんしょくしょうじょうしん〈在庫なし〉
そびえる山々もそのまま仏の説法であり、仏の相である。
この説法は人には説けないし、自ら聞く以外に方法はない。
心佛如々 しんぶつにょにょ 〈在庫なし〉
あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもののあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。