禅を実践する学校です。社会人、シニア、留学生、お坊さんを目指す人…。1学年25名の少人数ながら多彩な学生が、大家族のように学んでいます。
 
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正眼短期大学より、皆様へ
元気になれる禅語をお届けいたします。
 
一滴の水がやがて大河になるように、
禅のおしえのひとひらが、皆様の心に元気を運んで行きますように。
(禅語解説 山川宗玄 学長)
 

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(12)燈々無尽
2019-02-13
燈々無尽 とうとうむじん
 
ー 尽きない思いー
 
「燈々無尽」
仏法の燈火は尽きず、受け継がれてつながっていく。
 
 
年度末、卒業や別れの季節です。
「卒業を節目に」「ひとつ区切りをつけて」などと、よく言います。
確かにそうではありますが、
明日から突然、別人になるわけでもありません。
 
学校を卒業、職場の異動、いろいろな変化があったとしても、
芯となる志は尽きることはないのです。
 
ひとつの務めが終っても、
これまで自分が学んできたこと、積み重ねた努力、そして得たもの、
それらは決して消える事のない燈火として輝き続けます。
 
新しい社会は厳しいかもしれないが、挫けることなく進んでいこう。
たとえ小さなともしびでも、
心細い思いをしている誰かの道を、照らすかもしれない。
誰かの心を、あたためるかもしれない。
 
 
 
(11)霜葉は二月の花よりも紅なり
2018-11-15
霜葉は二月の花よりも紅なり
 
ー 刻んだシワの美しさー
 
杜牧の詩「山行」に、
停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花
車を停めて坐ろに愛す楓林の晩、霜葉は二月の花よりも紅なり)
とある。
杜牧は唐の時代の人だから、現代人に置き換えてみれば、
信号待ちでふと目に入ったもみじの赤さに驚いた
というところか。
 
ところで、落葉樹が紅葉するのは、
厳しい冬に備えて、少しでも長く光合成をするため、
つまり木が生きていくためにしているのである。
人を楽しませるためでは、勿論ない。
しかし、その紅葉を人々は楽しみ、感動する。
 
冒頭の詩中の「霜葉」とは霜にあたって紅葉した葉のこと。
敢えて人に譬えるならば、年齢を重ねて様々な苦労を乗り越えようとしている人のことか。
冬過ぎて、春三月(旧暦二月)の桃の花も美しいが、
厳しい寒さの中奮闘、「高揚」して労苦の汗を光らせている人の姿は、美しい。
その苦しさに耐え、乗り越えていく姿に、
(本人は苦労とも感じていないかもしれないとしても)
図らずも周囲は感動するのである。
 
 
(10)この棒
2018-02-28
金剛棒
 
 
 
この棒は人を叩く棒にあらず
怠け心を叩く棒である
 
(9)放下著
2018-01-19
 
放下著
ほうげじゃく
 
 ー  何もかも捨てて!! ー
 
「放下」は、打ち捨てる、手放す。
「著」(着とも)は、命令形。
つまり、「捨ててしまえッ!」となる。
 
「自分には何のこだわりもない」という修行者へ「放下著」と言い放った趙州和尚は、
8世紀9世紀を生き抜いた唐の禅僧。
 
この修行者のような自信はないが、執着、欲望、羨望、自惚れ、
見栄や意地や、「こうであるべき」「こうでなければならない」等々と
捨てられないものにどうしようもなく縛られた自分。
 
 〈 何もかも捨てて 〉
 
こんな価値観を、いったん捨ててみる。
 
からっぽになった自分が、素直に世界を感じる。
そこから、新しい自分自身を始めてみよう。
この今というときは、まことに新しい如今(いま)なのだから。
 
 
 
 
(8)看々臘月尽
2017-12-20
 
看看臘月尽
看(み)よ、看よ、臘月(ろうげつ)尽く〔虚堂録〕
 
 ー 覚悟のほどは ー
 
臘月というのは、12月の異名のひとつ。
さあさあ今年も終わりますよ、ぼーっとしていてはいけませんよ!
という言葉。
 
ろうそくは、いよいよ燃え尽きる時、ひときわ輝く。
最後の一瞬に込める力は、それよりもはるか前にした覚悟があってのもの。
 
ろうそくが短くなっていくように、
人も、ものも、自然も皆変わっていく。
誰も燃え盛る炎のままではいられない。
最後の瞬間に輝くために、何が大切なのか?
 
看よ看よ、手と目とをもってよーくみて、
今、この時、二度と来ない今日を精一杯生きよう。
 
 
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